新労災認定基準適用で労災不認定を一転
令和4年1月
新年最初の投稿は労災認定基準に関するものとさせていただきます。
昨年は最後の投稿にパワハラ防止法で変わる労災認定ということでパワハラ防止法の改正に伴い見直された精神障害の労災認定基準について取り上げた。ご存じの方も多いと思うが、労災認定はこの時に取り上げた精神疾患による労災のほかに、脳・心臓疾患の労災認定基準がある。この脳・心臓疾患の認定基準も昨年(2021年)見直されている。
この認定基準の見直しに伴い、労働基準監督署が一度は労災の申請を不認定としていたものを一転認定したことが先月発表された。
精神疾患の逆転判決事案について興味のある方はこちらをクリックください。
事件の概要
事件の概要は居酒屋チェーン店で調理師として勤務していた男性社員の労災認定に関するもの。
当該男性は2016年1月の勤務中に顔のしびれを感じて救急搬送された。脳内出血が判明し、その後治療が行われたものの半身麻痺は残った。男性は、会社の指示に従って勤務をした結果の後遺症であり、労災にあたると信じて申請をした。
所轄の千葉県柏監督署は出退勤記録から法定時間外労働(いわゆる残業時間)が脳内出血発症の2か月~6か月前の平均が66時間程度であったと認定し、いわゆる過労死ライン(後述)の80時間に届かないとして労災認定を行わなかった。同人の不服申し立てを受けて再度残業時間の確認を行ったが、75時間程度まで増えたもののやはり80時間に届かず、結局労災認定されることはなかった。
同男性はこの労災不認定を不服として2019年6月に提訴しているが、これについては判決には至っていないとされている。(別途行った会社に対する損害賠償請求については2021年に10月に判決が出ており、会社に対する損害賠償の支払いが命じられている)
柏監督署は一度は不認定としたものの、認定基準が9月に改定されたことを受けて再検討を行い、結果として労災と認定した。一度不認定とした労災を再度検討し認定したケースとしては全国初めてであった。
本事案での勤務実態
本件の居酒屋チェーンでの勤務は3交代制で、当該男性は夕方から閉店までの深夜シフトに入ることが多かったというが、深夜シフトの場合には午前3時の閉店後に翌日の準備などを行う必要がある。結果として、始発電車で明け方に帰宅し、昼過ぎに起きる生活になることが多かったという。さらに深夜のシフト以外にも日中のシフトが入ることもあり、体力的には厳しいものがあったとしている。
労災認定基準の見直し
労災認定の現状
脳および心臓疾患に伴う労災については主として労働時間(いわゆる残業時間)の長さが大きな要因として考えられており、長時間労働による過重労働が認められない限り、労災が認定されにくいとされていた。具体的には発症時直前の1か月(短期)における残業時間が100時間、または、直前の2か月~6か月(中期)の残業時間が80時間を超えているかどうか(これを一般的に『過労死ライン』と呼んでいる)がポイントとされ、これを超えない限り労災が認定されにくい実態があった。
厚生労働省によれば、昨年度の労災については申請件数が784件で、認められた件数が194件であり、そもそも申請に至る件数が低いうえ、認められる件数も低いといえる。さらに言えば認定された194件のうち、月の残業時間が80時間を下回った過労死ライン未達の認定ケースは17件のみで認定件数の1割にも満たなかった。この件数の少なさが現実であり、このことから潜在的な労災事案についても申請をためらうケースが多いともいわれている。
労災認定基準の見直し
厚生労働省がこの労災基準の見直しを行う際、「過労死ライン」そのものの見直し(時間数の引下げ)の必要性も過労死遺族などから意見として出されていたが、今回の見直しでは結果として「過労死ライン」そのものが見直されることはなかった。
その一方、新基準では残業時間以外の負荷要因も考慮すべきことを明確にしている点が特徴といえる。
これらの『負荷要因』に該当するものとしては、勤務時間の不規則性・事業場外における移動を伴う業務・心理的負荷を伴う業務・身体的負荷を伴う業務・作業環境の5つを挙げている。その上で労働時間と負荷要因を総合的に判断することを求めている。
つまり、労働時間だけをみた場合には過労死ラインに達しない状況であっても、負荷要因の状況によっては労災認定される可能性が高まったといえる。
勤務時間の不規則性
これらの負荷要因の中で特に注目すべきは、前記の「勤務時間の不規則性」についてである。新基準では具体例として以下の4項目を挙げている。
①拘束時間の長い勤務
②休日のない連続勤務
③勤務間インターバルが短い勤務
④不規則な勤務・交代制勤務・深夜勤務
これら4つの勤務状況がある場合には、法定時間外労働そのものが極端に多くない場合であっても負荷のかかる働き方をしているということで総合的に労災認定される可能性があるということである。
今回の事案では④が該当している。勤務シフトがそもそも交代制勤務である上に深夜勤務が多かったこと、さらには日中のシフトに入ることもあるという不規則な勤務も該当し、負荷要因が大きいと判断されたものである。
企業が取るべき対応
今回の監督署による労災判定の見直しはある意味画期的といえる。自らの判定を見直すケースは稀であり、こうした判断が今後の他の事案にも影響が出るものと考える。
前記の通り、これまでは「過労死ライン」に届かない残業時間による労災については認定のハードルが高く、申請自体をためらう事案も多かったとされているが、今後は労災申請する労働者側の対応も認定する監督署側の考えも大きく変わる可能性が出てきたといえる。
労災認定された企業のリスク
企業にとって本音を言えば労災の認定はできれば回避したいものである。
労災認定されることは企業のイメージには大きなマイナスであることは言うまでもないが、裁判になった場合には企業側の安全配慮義務違反が認められる可能性が極めて高くなり、損害賠償の支払いなどの実害が生じるリスクを考えなければならない。
しかし労災を隠ぺいすることは当然許されない。企業はそもそも労災にならないようにする必要がある。
いわゆる働き方改革関連法により、2019年より時間外労働時間に事実上の上限が設けられたが、逆に言えばこの上限の範囲で認められている月80時間を遵守していれば労災認定されるリスクは低いと言えた、しかしながら、昨年の認定基準の見直しにより、負荷要因を本格的に考慮することになれば単に80時間を超えなければよいという考えは改めなければならなくなったといえる。
もう一つの注目ニュース
12月には労災に係るもう一つのニュースが注目された。それは「持ち帰り残業」をどうとらえるかというものであった。
本投稿で詳細の言及は差し控えるが、パナソニック社に勤務していた社員に関する労災事案で、自宅に業務を持ち帰る、いわゆる持ち帰り残業を労働時間に含めるかどうかが注目された事案である。
この事案で監督署は労災は認定したものの、持ち帰り残業時間を労働時間とは認定しなかった。この事実に対してパナソニック社は積極的に持ち帰り残業の事実を調査し、自らが労働時間であったことを認定したことが話題となった。
こうしたケースにもみられるように、積極的に残業の実態把握と過重労働の撲滅に動き出した企業が出てきている。今後は、こうした持ち帰り残業などの「把握しにくい労働時間」をどのように把握・管理していくのか注目されることになりそうだ。
さらに言えば、コロナ禍の影響で増加しているテレワークにおける労働時間も今後は課題になりそうである。
求められる企業の対応
これまで説明したように、「残業時間が月80時間を超えなければ『セーフ』」という考えを改めなければならず、勤務形態ごとに適正な労働時間を把握しなければならない。また、持ち帰り残業などの見えにくい労働時間についてもしっかりと把握する義務が今後高まるといえる。
労災事案を起こさないようにするために必要な労働時間管理の体制を見直すことが目先の課題といえる。
宍倉社会保険労務士事務所 (東京会渋谷支部所属)
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