労働裁判から学ぶ―定年退職後の賃金はどこまで下げられるのか
令和2年12月
今回取り上げるのは10月の末に出された名古屋地裁における定年退職後の賃金引き下げに係る裁判。
注目すべき点は、地裁判決とはいえ司法の場で「定年後の賃金はどこまで下げたら違法になるのか」という水準を始めて具体的に示したことにあるといえる。
これまでも定年退職後の待遇についてはいくつか裁判が行われており、その代表的なものが平成30年6月の長澤運輸事件である。この長澤運輸事件については、小職も取り上げているので興味のある方はこちらをクリックしてください。
この長澤運輸を始めとした多くの事件では、賃金などの労働条件を一定程度引き下げることについて違法とまでは言えないという判断を示してきたが、今回初めて定年時の60%以下は違法との判断を示したことはある意味画期的といえる。
事件の概要と判決
事件の概要
名古屋自動車で教習指導員をしていた2名の男性職員が原告。男性職員はそれぞれ2013年と2014年に60歳を迎えて定年退職し嘱託社員として継続雇用されたが、継続雇用後の賃金が不当に低いことを訴えた。
2名の定年前の基本給が16万円~18万円であったのに対し、嘱託社員になった後の基本給は1年目が8万円程度で、そこから次第に引き下げられ最終的には7万円を少し超える水準だったという。
一方で担当する仕事については、定年退職前と後を比べて職務の内容や変更の範囲に違いがなかったとされた。
また、同社の賃金体系は原則として勤続年数に応じて増加するものであり、勤続30年以上の正職員については基本給が16万7千円~18万円ほどであるのに対し、勤続1年目~5年目までの基本給は11万2千円~12万千円程度であった。
地裁の判断
名古屋地裁は、定年退職時点の賃金が世間一般と比べてそもそも高くない中で、職務内容務・変更の範囲に差がないにもかかわらず、さらに大幅減額をしたことは生活保障の観点からも看過しがたいとした。
さらに、年功的賃金制度では抑制される傾向にある若年性職員以下の水準であったことも重視した。
結果として、定年前の基本給の60%を下回る水準を不合理とし、その差額の支払いを命じた。
賃金以外の判断
今回の裁判で原告は賃金の引き下げのほか、正職員に支給される皆精勤手当と家族手当が支給されていないことも不合理な待遇差と訴えた。
名古屋地裁は皆精勤手当の相違を不合理とした一方、家族手当については、その支給趣旨が福利厚生・生活保障の趣旨であることした上で、定年退職し老齢厚生年金を受給していることを根拠に支給しないことを不合理とは言えないと判断した。
これまでの司法判断と今判決の意義
これまでの司法判断
冒頭にある通り、これまでは結果として、「そこまで下げても違法とは言えない」という司法の判断が示されたケースが中心であった。
特に注目すべきは最高裁の長澤運輸事件や、地裁レベルではあるが後藤育英会事件といえる。他にも定年退職後の基本給について争われた裁判はあるが、この2つは定年退職前と定年退職後の職務内容が変わらない状況でどこまで賃金の引下げができるのかという点で重要とされている。
長澤運輸事件では提訴した3名の嘱託社員の賃金が基本給ベースで10%前後、不支給となった賞与を勘案した年収ベースでも約20%の引下げになったが、最高裁は違法とまでは言えないとした。
一方の後藤育英会事件については、嘱託社員の賃金を定年退職前の6割とすることが労使間で合意されていたことから、4割の引下げについては不合理とは言えないという判断がなされたもの。
今回の判断の意義
繰り返しだが、今回の名古屋自動車事件の判断の重要な点は「定年退職時の賃金の60%を下回ると違法」と具体的な水準を示した点にあるといえる。
この60%の水準が上記後藤育英会の判断を意識したものか、雇用保険の高年齢者雇用継続給付制度を意識してのことか定かではないが、少なくとも一定の水準が示されたことは大変重要である。
今後何に注目すべきか
皆さんの記憶にも新しい今年10月の大阪医科大学事件・メトロコマース事件では最高裁において、それぞれで賞与及び退職金について正社員と比較して一定水準を下回ることを違法とした高裁の判断を覆している。
これらのケースにみられるように、司法で一定の「違法となる水準」を示すことの難しさが明らかになったともいわれている。今回の判断はあくまでも名古屋地裁の判断である。今後は高裁、場合によっては最高裁で異なる判断が示される可能性が充分にあり、注目に値する。
使用者はどのような準備をすればよいか
職務内容が変わらない場合
今回の名古屋自動車事件では、定年退職前後で職務内容やいわゆる変更の範囲が変わらなかい状況で賃金の引下げがどこまで認められるかといったものであった。「職務内容等が変わっていないのに」賃金が定年退職前の60%を下回ることを『不合理な待遇差』として認めたことになる。
逆に言えば、職務内容等が変更になっていれば60%以下の賃金も違法とならないと考えるべきであろう。これまでの司法判断でも長澤運輸事件や後藤育英会事件のケース以外で職務内容が変更になっている事案では、より大きな賃金引下げも違法ではないとされている例がある。
つまり、再雇用後に職務内容が変更になっているかどうかは重要な要素であり、使用者はこの点しっかりと整理し、再雇用時に説明すべきと考える。
実態として、定年退職後には職務内容等が変更になり、その結果として賃金が大幅に引き下げられるケースは多くみられる。中労委が令和元年に公表した定年退職後の賃金実態調査では時給換算の賃金が50%以下となっている企業が3割近くあることも確認されている。
重要な判断要素
長澤運輸事件や後藤育英会事件など一定程度の引下げを認めた裁判でも、その判断に至るポイントが示されている。それらのうち特に重要なものを2つ挙げる
*定年前の賃金設計がどのようなものであったか
年功的な賃金制度の場合は、定年直前の賃金が高めに設計されることは一般的であり、職務内容や能力よりも賃金が高いと考えられており、こうした賃金体系を基に受けていた賃金と定年退職後の継続雇用時の賃金が引下げられることに合理性があると考えられている。
逆に言えば、そもそも能力に応じた賃金体系を導入している場合などは同様の引下げが不合理となる可能性がある点注意が必要。
*定年後の賃金水準について労使間で協議を重ねたか
過去の裁判では、定年前と定年後の賃金のバランスを含めた賃金体系について労使間で協議して決めているかどうかを重要視している。労使間で話し合って決めた賃金体系で、正社員であったときにはその高い賃金のメリットを享受し定年退職しているのであるから、定年退職後に労使間で合意している定年退職後の賃金水準も受け入れるべきとの考え方で明日。
使用者からすれば、労使間で十分な協議をした上で定年退職後の賃金を決定しているかどうかで一定程度の引下げが認められるといえるので、このプロセスは十分に行うべきである。
宍倉社会保険労務士事務所
電話 03-6427-1120
携帯電話 090-8595-5373
メール shishikura@ks-advisory.co.jp